加藤 知正(かとう ちせい、1873年(明治6年)11月19日 - 1947年(昭和22年)4月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。
経歴
新潟県古志郡下塩谷村で、加藤周浄の二男として生まれる。1900年、東京高等蚕糸学校(のち東京繊維専門学校を経て、現在の東京農工大学)を卒業。北越蚕業講習所教頭、大日本蚕糸会技師、同理事、東京高等蚕糸学校講師、南光社社長などを歴任し。1924年の第15回衆議院議員総選挙において立憲政友会公認で立候補して当選。以来第19回総選挙を除いて通算6期務める。1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選。そのため、戦後、公職追放となった。追放中の1947年死去。
親族
- 兄 渡辺龍聖(教育者)
- 養子 加藤洽三(医師、甥、渡辺龍聖三男)
脚注
参考文献
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。



