板倉 勝貞(いたくら かつさだ)は、江戸時代後期の大名。備中国庭瀬藩の第8代藩主。官位は従五下・摂津守。重宣系板倉家9代。
略歴
第5代藩主・板倉勝喜の5男として誕生。
文政7年(1824年)11月15日、第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。天保3年(1832年)閏11月21日、兄で先代藩主・板倉勝資の隠居により家督を継ぐ。同年12月16日、従五位下摂津守に叙任する。藩政に見るところもなく、嘉永元年(1848年)3月21日に家督を養嗣子の勝成に譲って隠居し、翌年3月16日に死去した。享年49。法号は芳俊院殿功山源運大居士。
系譜
- 父:板倉勝喜(1765-1842)
- 母:不詳
- 室:不詳
- 養子
- 男子:板倉勝敬(1822-1845) - 板倉勝資の長男
- 男子:板倉勝成(1821-1848) - 安藤信由の次男




