大津 淳(おおつ あつし、1932年〈昭和7年〉1月2日 - 2020年〈令和2年〉11月13日)は、兵庫県明石市のプロ野球選手(外野手)。
関西六大学野球・都市対抗野球大会で優勝経験後に、大阪タイガースに入団。引退後には球団フロントも務めた。
経歴
明石高校(旧制明石中学校)では、捕手として1947年春の選抜に出場。1回戦で徳島商に敗退。卒業後は関西大学に進学、外野手に転向する。関西六大学野球では在学中3度優勝。1953年春季リーグで首位打者を獲得、『ミスター関六』と呼ばれる。リーグ通算93試合出場、319打数102安打、打率.320、3本塁打。プロ野球から誘いが来るが、断り日本生命に入社。1955年の都市対抗に全鐘紡の補強選手として出場。準決勝で決勝二塁打を放つなど中心打者として活躍、決勝でも鐘淵化学を破り優勝を飾る。同年の世界アマチュア野球大会日本代表に選出された。
同年12月に阪神電気鉄道に入社し、出向の形で大阪タイガースに入団。翌1956年から、レギュラー外野手として出場。1957年には打撃ベストテン8位(打率.262)の好成績を記録した。1960年には1試合だけ捕手として起用された。1961年限りで現役引退。
引退後は阪神電鉄に戻り、その後阪神球団フロントに入って1985年には営業部長として球団初の日本一達成に貢献し、編成部長なども務めた。
2020年11月13日13時50分、肺炎のため、明石市の病院で死去。88歳没。
詳細情報
年度別打撃成績
記録
- 初出場・初先発出場:1956年3月21日、対広島カープ1回戦(阪神甲子園球場)、5番・右翼手で先発出場、4打数3安打2打点1盗塁
- 初本塁打:1956年3月21日、対広島カープ2回戦(阪神甲子園球場)、4回裏に松山昇からソロ
- オールスターゲーム出場:2回 (1956年、1958年)
背番号
- 19(1956年 - 1961年)
脚注
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 関西大学の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 大津淳 - NPB.jp 日本野球機構




