1959年のロードレース世界選手権は、FIMロードレース世界選手権の第11回大会である。5月にクレルモン=フェランで開催されたフランスGPで開幕し、モンツァの最終戦イタリアGPまで、全8戦で争われた。

シーズン概要

1955年以来途絶えていたフランスGPが新たに造られたクレルモン=フェラン・サーキットに舞台を移して復活し、この年の世界選手権は全8戦となった。ただし、8戦全ての大会で開催されたクラスは無い。

4クラスのタイトルをMVアグスタに乗る2人のライダーだけで独占した。350ccと500ccクラスに至っては、シーズンを通してレースに優勝したのはジョン・サーティースただ一人だった。ノートンはワークス活動を撤退した後もプライベーター用の市販マシンの開発を続けていたが、単気筒のマンクスではMVアグスタの4気筒には太刀打ちできなかった。MVアグスタ以外で唯一500ccクラスへのワークス参戦を続けていたBMWは、結局1度も勝利することなくこの年を最後にグランプリを去った。一方、125ccと250ccクラスではカルロ・ウビアリとタルクィニオ・プロヴィーニというMVアグスタの2人がしのぎを削り、結果は両クラスともウビアリが制したが個性の強い2人の衝突は避けられず、シーズン終了後にはプロヴィーニがMVアグスタを離れてモト・モリーニに移籍することになった。

前年、印象的な走りを見せたMZの2ストロークには東ドイツ以外のライダーたちも大きな関心を示し、前年からのレギュラーであるホルスト・フュグナーとエルンスト・デグナーに加えてゲイリー・ホッキングやルイジ・タベリといった実力のあるライダーがシーズン中にMZに乗り換え、度々上位に食い込んだ。中でもホッキングはMZを得ると同時に連勝し、それを見たMVアグスタはホッキングと翌年からの契約を結んでいる。

後のグランプリの歴史にとって重要なこの年の出来事が、日本のホンダのマン島初挑戦(125ccクラス)である。日本国内では浅間火山レースや富士登山レースのようなダートコースでのレースしかなく舗装路でのレース経験がほとんどないホンダだったが、ヨーロッパでも類を見ない125cc2気筒DOHC4バルブのエンジンを積んだマシン(船便で運んだマシンの2バルブエンジンのヘッドを、レース直前に手荷物で持ち込んだ4バルブヘッドに急遽交換したものだった)で社内ライダーの谷口尚己が6位入賞し、初グランプリで1ポイントを獲得した。レースの1ヵ月前から現地に乗り込んで練習を重ねた谷口を含む4人の日本人ライダーは全員完走してホンダはチーム賞を獲得し、ヨーロッパのメディアはそのエンジンを「まるで腕時計のように精巧で、ヨーロッパのメーカーのコピーではない独創的な設計だ」と賞賛した。この年ホンダが走ったのはマン島の1戦のみだったが、ホンダのマシンに可能性を感じた一部のプライベーターは早くも翌シーズンのホンダの動向を気にし始めていた。

500ccクラス

MVアグスタのワン・ツーフィニッシュで開幕すると、ジョン・サーティースは第4戦オランダまで4連勝を飾って最短でチャンピオンを決め、タイトル決定後もそのまま1度も負けることなくシーズンを終えた。500ccクラスでの完全勝利は、この年のサーティースが初めてである。ランキング2位にはサーティースをサポートしたレモ・ベンチューリが入った。

元チャンピオンのジェフ・デュークはジレラの撤退以後プライベーターとしてノートンの市販マシンで参戦を続けてきたが、この年の最終戦イタリアGPでの3位表彰台を最後にオートバイレースから引退した。

350ccクラス

ジョン・サーティースが350ccクラスでは1949年のフレディー・フリース以来となる全戦全勝で500ccクラスとのダブルタイトルを獲得した。ボブ・ブラウンやゲイリー・ホッキングはスペシャル・チューンのノートンで度々表彰台に登る活躍を見せたが、MVアグスタのセカンドライダーでランキング2位となったジョン・ハートルにわずかに届かなかった。

250ccクラス

MVアグスタのカルロ・ウビアリとタルクィニオ・プロヴィーニは共に2勝ずつ挙げたが、プロヴィーニは優勝したレース以外ではポイントを挙げることができず、3度の2位入賞を果たしたウビアリがシーズンを制した。前年ランキング2位のMZのホルスト・フュグナーは、第2戦ドイツGPで優勝したウビアリから0.8秒遅れの3位になるなど今シーズンも速さを発揮していたが、ベルギーの125ccでの事故によって選手生命を絶たれてしまう。代わってMZのファクトリーチームに加わったゲイリー・ホッキングはスウェーデンGPでグランプリ初優勝を飾ると続くアルスターGPでも連勝し、プロヴィーニと同ポイントのランキング2位を獲得した。

125ccクラス

この年、唯一チャンピオン決定が最終戦までもつれ込んだのが125ccクラスである。ホンダのグランプリデビュー戦となったマン島ではタルクィニオ・プロヴィーニが勝ったが、続くドイツGPではカルロ・ウビアリが勝利し、ウビアリはベルギーGPまで3連勝を飾った。その間、プロヴィーニも2位入賞を重ねて追いすがり、スウェーデンGPでの勝利によって最終戦に勝てば逆転チャンピオンというところまで追い上げたが最終戦のイタリアでは5位に沈み、このレースで2位となったウビアリがこのクラスの2年連続タイトルを決めた。

ウビアリとプロヴィーニが出場しなかったアルスターGPでは、ドゥカティのマイク・ヘイルウッドがグランプリ初勝利を飾った。この時19歳だったヘイルウッドの優勝は、グランプリでの最年少優勝記録だった。また最終戦のイタリアGPでは、MZの2ストロークを駆るエルンスト・デグナーが初優勝している。しかし冷戦のただ中にあったこの時、イタリア当局は表彰台でデグナーの母国である東ドイツ国歌の演奏を許可しなかった。

グランプリ

最終成績

  • 全クラスで上位入賞した4戦分のポイントが有効とされた。
  • 凡例

500ccクラス順位

350ccクラス順位

250ccクラス順位

125ccクラス順位

脚注

参考文献

  • ジュリアン・ライダー / マーティン・レインズ『二輪グランプリ60年史』(2010年、スタジオ・タック・クリエイティブ)ISBN 978-4-88393-395-2
  • ケビン・キャメロン『THE GRAND PRIX MOTORCYCLE』(2010年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-57-8
  • マイケル・スコット『The 500cc World Champion』(2007年、ウィック・ビジュアル・ビューロウ)ISBN 978-4-900843-53-0



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