北山名村(きたやなむら)は、愛知県丹羽郡にかつてあった村(町村制施行前の村)。
現在の扶桑町山那、小淵にあたる。
歴史
『尾張徇行記』によれば、北山名村は木曽川沿いに点在する村で、しばしば洪水に見舞われ石高が減少して、農業だけでは生計が成り立たなく養蚕も早くから行われ、生糸や真綿の行商をしていた。また、周辺の村々とともに馬を多く育てていたことも記録されている。1730年(享保15年)頃には、馬市が盛んであったという記録もある。また、『寛文村々覚書』には「中鵜飼船四艘」の字も見え、鵜飼いも行われていたらしい。
沿革
- 1872年(明治4年) - 岩手村と合併し、山那村となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 山那村と南山名村が合併。山名村発足。
- 1906年(明治39年)10月1日 - 豊国村、高雄村の一部、柏森村の一部と合併し、扶桑村発足。同日山名村は廃止。
地理
『天保村絵図』によると、この村は北山名村に枝郷小淵を合わせてできており、人口の割に畑が少なく、半農半商の生活をしていたようである。村の北には御幸通り、堤道が通り、堤の北側には山神が2ヶ所と墓地が見える。現在は墓地はなく、三本松といっていた地と思われる。北側は木曽川を隔てて美濃国鵜沼村、西は岩手村、中般若、南は南山名村と東は木津村と境をなしている。
木曽川畔の村として、昔より水との闘いを重ねてきた地域で、小さな村に8本の猿尾堤をもち、御囲堤沿いの村として生き抜いてきた。北山名村には小淵の渡し(山名の渡し)があった。古くは承久の乱に登場する「九瀬」の一つ「気瀬」(各務原市大伊木)の対岸である。『尾張名所図絵』、『尾張志』にも書かれていることから、かなり古くから渡船場があったことが分かる。
ほかに、小淵の薬師寺にはブチワリ不動尊という石像があり、キリシタン信仰の遺物として、高木村のキリシタン弾圧に関連する貴重な資料と言われている。
文化財
- 小淵の渡し跡
学校
- 啓明学校(現・扶桑町立山名小学校) - 1873年(明治6年)12月創立。
参考文献
- 『扶桑町史』、扶桑町、1998年、第四章 近世、284 - 286頁。
脚注
関連項目
- 愛知県の廃止市町村一覧
- 御囲堤
- 猿尾堤
- 小淵の渡し



